[経済史]海外進出におけるポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスの動機、帰結、衰退要因

参考文献: 河崎信樹・奥和義編著(2018)『一般経済史』ミネルヴァ書房

今回は海外進出におけるポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスの動機、帰結、衰退要因について整理する。

以下の本文は第1に、ポルトガルとスペインの海外進出について、第2にオランダとイギリスの海外進出について論述する。

 まず西ヨーロッパのポルトガルとスペインについてはともに、金、香辛料、小麦、砂糖の4つを中心とするアジアの資源や物産を求めて海外進出した(河崎・奥 2018:75)。河崎・奥 (2018)によれば金と香辛料は西ヨーロッパにも入ってきてはいたのだが、西ヨーロッパに入ってくる前に、地中海地域におけるアジア物産の集積地であるエジプトのアレクサンドリアに集積され、そこでヴェネツィアの商人が買い付け、高価格で西ヨーロッパに再輸出していた。そのため、自らアジアの物産を求めようというのが動機である。さらにポルトガルとスペインの2か国には宗教的な動機もあった。それは、8世紀以降イベリア半島を支配していたイスラム教徒を追い出し国家統一を図るということである。さらには、キリスト教の布教という宗教的情熱もあった。

 これらの動機に基づいて海外進出をした帰結は、河崎・奥(2018)によればポルトガルについては大きく3つある。第1に、ポルトガルはアジアにおいて領土支配を行わず、西ヨーロッパへの海上ルートを支配し、貿易のネットワークを手に入れたことである。第2に、ブラジルが重要な砂糖の生産地となったことである。第3に、奴隷貿易の拠点としての西アフリカの実質的な主導権を手に入れたことである。

 しかしポルトガルは、西ヨーロッパ内に香辛料の独自販売網を構成できず、また自国内部に資本主義を十分発達させられなかったために国際商業センターを持てなかった。その結果、1580年代にポルトガルがスペインに併合され、1590年代にはオランダが台頭したことによりポルトガルは衰退していった(河崎・奥 2018)。

 河崎・奥(2018:頁)によればスペインの海外進出の帰結も主に3つ挙げられる。第1にカリブ海と南北アメリカに広大なスペイン植民地が形成されたことである。第2に、ヌエバ・エスパーニャとペルーからスペインへ銀が大量に流入したことである。この銀は西ヨーロッパ各地へ拡散した。第3にスペイン領アメリカの存在により、西ヨーロッパとアジアの経済が結びつきを深め、グローバル経済が形成されたことである。

 しかしスペイン国王カルロス1世の時代にスペインがヨーロッパの大国となり、その結果整備された官僚制の維持や戦費に大量の税収を費やしたため、破産せざるを得ずに衰退していくこととなった。また、ポルトガルと同様に自国内での国際的な商業システムを確立できなかったことも問題であった。

一方で河崎・奥(2018)によればオランダとイギリスは、自国内で国際的な商業システムを確立していた。オランダの海外進出の動機はネーデルラント独立戦争が大きかった。この戦争により、アムステルダムに入りにくくなったために、オランダ人は独自に香辛料を調達しようと考えたのである。

 河崎・奥(2018)によればオランダの海外進出の帰結は、国内の資本主義経済の発達とアジア・アフリカ・大西洋への進出を両立した国が現れたことである。オランダは自国と西アフリカ・カリブ海を結ぶ大西洋の三角貿易を確立し、史上初めて資本主義経済と海外進出を成功させた。

 しかしイギリスの航海法をはじめとしたイギリスとフランスの封じ込めによって衰退していくこととなった。英仏との戦争(第3次英蘭戦争と仏蘭戦争)に負けたわけではないのだが、戦争によって国内の経済活動が混乱し停滞したために衰退していくこととなった。  河崎・奥(2018)によればイギリスの海外進出の目的は、当時のイギリスの主要輸出品であった毛織物の輸出先の確保である。大陸ヨーロッパへの輸出が減少したため、イギリス商人はアジア、特に中国に市場を求めたのである。海外進出の帰結としてイギリスは海外での優位性を確立し、西アフリカとカリブ海との間における三角貿易によって利益を得た。しかし、重商主義を完成させるための戦争に巨額を費やし、その戦費を賄うために植民地へも税を課した。その結果、植民地の反対を受け、アメリカの独立戦争と独立承認をはじめとした独立を招いた。それにより、植民地を失うこととなった。

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