[経済史]1929年の大恐慌に対してアメリカが取った政策

参考文献: 河崎信樹・奥和義編著(2018)『一般経済史』ミネルヴァ書房

 今回は、1929年の大恐慌に対してアメリカがとった対策についてまとめる。河崎信樹・奥和義編著(2018)『一般経済史』(ミネルヴァ書房)を参考に、第1にH.フーバー政権期について、第2にニューディール政策についてまとめていく。

 第1に、フーバー政権の政策について、①関税政策と②金融政策から検討する。

 ①関税政策についてみる。河崎・奥(2018:176)によれば、1929年10月にニューヨーク証券取引所における株価の大暴落が起こった後の1930年6月に成立したスムート=ホーレー関税法によって、禁輸入的な、きわめて保護主義的な通商政策がとられたという。このスムート=ホーレー関税法では、アメリカ国内でも同種の生産がなされている農作物・工業製品の輸入に対して100%を超える関税が課された。しかし、河崎・奥(2018:176)によれば、この法案は他国の報復的な関税を招いたことでアメリカ国内の経済不況をより一層深刻化したという。すなわち、H.フーバー政権は過度な保護主義を断行することで、国内で生産し、国内で消費するというサイクルを形成しようとした。しかしそのために国際協調を無視し、貿易が実質的に行われなくなることでさらなる不況を招いたのである。

 ②金融政策についてみる。河崎・奥(2018:176)によれば、H.フーバー政権期には適切な金融政策、すなわち、不況の中での利下げをするという金融緩和政策を行わなかったという。それどころか、河崎・奥(2018:176)によれば、1931年9月には金本位制を維持し金の対外流出を阻止するドル防衛策を目的として金融引き締め(利上げ)を実施した。河崎・奥(2018:176)によれば、この政策は国内生産の縮小にさらなる拍車をかけたという。このようにして、H.フーバー政権が行った政策は過度な保護主義的、ドル防衛的なものであり、これは不況をさらに深刻化させてしまったのである。

 第2に、ルーズベルト政権の政策について検討する。こうした状況下で、1933年に就任したフランクリン・D.ルーズベルト大統領は、大恐慌を克服するためにニューディール政策を行った。このニューディール政策は、河崎・奥(2018:177)によれば、従来からの、経済の自由放任主義を修正し、不況期には政府が国民経済の各部門に対して介入することを基調としているという。

 河崎・奥(2018:177)によれば、ニューディール政策ではまず、全国的な銀行休業を発令して事実上の金兌換停止をし、禁輸出禁止を実行して金本位制を確立した。これによって、当面の間は通貨の大収縮には歯止めがかかったという。河崎・奥(2018:177)によれば、さらに1933年銀行法によって、投機的な証券取引の失敗が、銀行の破綻に直結する可能性のある商業銀行業務と投資銀行業務の兼業が禁止されたという。これによって、ある程度銀行の経営安定化がはかられたことになる。

 河崎・奥(2018:178)によれば、農業調整法によって政府の補償のもとで農作物の生産を制限し、雇用機会保障のために公共事業への追加投資が行われたという。また、河崎・奥(2018:179)によれば、限定された通商相手国との間で互恵的な関税引き下げを行う方向へと大きく政策転換したという。経済各分野に対する政府の積極的な関与のもと、H.フーバー政権期の反省を活かして過度な保護主義から転換することで、世界恐慌から一定の回復を見せることになったのである。

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